ヘーゲルの歴史観から唯物史観へ
ヘーゲルは、歴史とは絶対精神(=理性)が、その本質を次第に顕現させていく過程であるといいました。
絶対精神はいわば、世界の根源であり、はじめはどこかに潜んでいて人間には分からないが、次第にその姿を現わしていき、その過程が歴史である。このように、ヘーゲルは主張しました。
ヘーゲルの歴史観においては、歴史の主体が絶対精神であり、絶対精神が人間を知らないところで背後から操っているにすぎません。加えて、歴史そのものがはじめから目的論的に決定され、絶対精神の摂理によって支配されており、人間もこの摂理に縛られている。と言います。
ヘーゲルと決別したマルクスが歴史について考察するスタンスは、実際に生き、生産活動に従事する人間に光が当てられ、そこからなされます。
それはマルクスの人間観の「生産する存在としての人間、人間とは社会的諸関係の総体である」に基づいており、人間の物質的生産活動こそ、社会や歴史の基礎だと考察しました。
つまり、絶対精神や理性のような人間の頭で勝手に考え出した観念的なものではなく、実際に物を生産するその活動、すなわち生産活動こそが社会や歴史の「土台」となる。そして、その土台の上に、法律・政治・学問・道徳・宗教などの精神的活動の所産が成立する。前者を下部構造、後者を上部構造といい、この上部・下部構造が社会全体を形成している。と
マルクスの人間観
マルクス以前の哲学者は、人間観を、「理性的存在」、「自由意志を有する者」、「宗教的存在」と唱えました。
これらの人間観においては、人間が生物の一種であるゆえに、生物として生きるために食べなければいけないということを見落としていました。
ただし、その生きるための食べる方法というのが特徴的です。
というのは、自然にあるものをそのまま摂取するのではなく、道具を使用し、採取・生産・加工した上で食べるということです。
マルクスはここに注目し、人間とは「生産(労働)する存在」と定義づけました。
その生産においては、必要な「生産手段」としての道具など、その道具を使用するための「生産方式」が必要です。
それらは、本人が発明して、作製し、使用することはごく稀で、ほとんどの場合は、他者が発明し、作り出したものです。
ゆえに、人間による生産は、たとえ一人で従事していても、自ずと他人との協働になります。
すなわち、生産(労働)する存在としての人間の、その生産は他者の存在なくしては実現不可能です。
言い換えれば、人間は、他者の存在なくしては人間たり得ません。(生存できません。)
ゆえに、マルクスは「人間とは社会的諸関係の総体である」としました。
大学1年生で経験したことリスト(前期・夏休み編)
1年前期
・『ただ飯』『遊園地』『甘いもの巡り』『スケート』など22個のサークルの新歓に参加して、大学生活の情報を集め、基本的なコミュ力を獲得する。
・結婚を学ぶ"有名"講義『婚学』を受講する。毎回、女子とペアを作るために話しかけ、ペアの女子と結婚や恋愛について話すのは苦痛でしかなかったが、自己成長の為に耐えた。
・地域振興を行う学生団体『iTOP』、古民家の経営を行う学生団体『がやがや門』、国際協力を行う学生団体『SFT』、ナンパ・夜遊びを行う学生団体『SWAP』に入る。
・『婚学』以外のほとんどの大学の講義を休む。
・友人と夜明けの海に行きまくり、音楽を鳴らして、泳いだり語ったりする。
・深夜のキャンパスを友人と徘徊したり、徹夜でコーヒーを飲んで語ったりする。
・トマト農家、心理学実験の被験者、個別指導でアルバイトを経験する。
・DTを捨てる。
・友人と徹夜で線形代数のテスト勉強をしたり、友人が救いの手(過去問、レジュメ)を差し伸べてくれたりしたおかげで、履修した講義の単位の全てを取得することができた。(感謝)
・タイ仏教の本を読んで輪廻転成にハマり、にわかブッディストになる。
1年夏休み
・『青春18切符』で福岡から京都まで友人と旅をする。
・タイ語の集中講義を箱崎キャンパスで受講する。後のスタツアで役立つ。
・タイのマヒドン大学の短期留学プログラムに参加して、タイ文化、タイ語の勉強をする。
・タイからの帰国時、腹痛と高熱のため福岡空港の検疫でイエローカードを渡される。
・タイから帰国後、腸炎による凄まじい腹痛と高熱で身動きが取れなくなり、台湾行きの飛行機をキャンセルし、病院で点滴を受ける。
・3日遅れで台湾に入国、千と千尋の神隠しの舞台と"巷で言われる"九份に行きガッカリする。
・ドンムアン空港からタイに入国、SFTのスタツアに参加して、ラオスの子どもたちと触れ合い、『他人に心を開くことの大切さ』を教えてもらう。
・タイからインド、ニューデリーに入国。15日間でニューデリーからアーグラー、ヴァラナシ、プリー、コルカタに向かう。
『ニューデリー』
詐欺インド人に騙され、詐欺インド人を騙す。
ニューデリーの置屋で、ススと使用済みコンドームだらけの環境、小学生くらいの少女の娼婦、客との間の赤ん坊を抱えた娼婦、数百円で1回出来る悲惨な現実を目にして、衝撃を受ける。
『アーグラー』
チップを巡って、インド人ガイドと揉める。インド人土産物屋を必死の演技で同情させる。日本人観光客を中国人のふりをして騙す。
『ヴァラナシ』
長期滞在する予定だったが、街の閉塞感と現地人とのイザコザもあって、街を早めに出る。
大麻ではじめてバッドトリップする。周りの人間が全て、敵に思えた。服を着たままシャワーを浴びていた。人とのコミュニケーションがうまく取れなくなり、凄まじく体が重くなった。
『プリー』
デリー、アーグラー、ヴァラナシとは一転、とにかく人がやさしい。漁村であたたかく迎えてもらったり、現地の人が無料でバイクに乗せてくれたり、、etc、人生でもっとも人から受ける優しさを感じた時間だった。
『コルカタ』
大麻を求めて、街をさまよっていると日本人彫師『エイジ』さんに出会い、人生で一番濃い1日を過ごした。
ひたすら仲間のゴロツキと大麻をひたすらやった。
ゴーゴーバーで札束をばらまくインド人とそれを拾う褐色の肌のインド人を見た。
インド人ダンサーとキマった頭でひたすら踊り、ゴムをつけずに中出しした。
深夜の娼街でゴロツキに追いかけられたり、娼婦に『私を買え』と叫ばれた。
たくさんのインド人マフィアに会った。
こんな映画のような刺激的な夜を経験することは、残りの人生においてもないだろう。
大学生活を振り返る(入学時)
私は、強烈な学歴コンプレックスを抱えて九州大学に入学しました。
入学当時、周囲には「俺は後期組だぞ」というマウントをとり、同じ後期組の連中とは他大への編入や、再受験の話をして傷を舐め合っていました。
今思えば、随分と視野が狭く、幼稚に感じられますが、高校生活で『東大以外行く価値がない』というような極端な学歴至上主義の考え方にどっぷりとつかっていたため、それは仕方のないことであったと思います。
当時の私にとって、もっとも大きな課題は、学歴コンプレックスを他大への編入や再受験以外の手段でどうやって克服するかということでした。
どうして、浪人や他大への編入、再受験といった手段をとろうとしなかったというと、理由は2つありました。
1つは、高校の担任との関係がとても悪かったため、調査書をもらいにいくことが嫌だったからです。
もう1つの理由は、自分の内面にありました。それは、極端な完璧主義者でもあった私にとって、他大への編入や再受験といった手段が成功しても、レベルの低い九大に入学したという経歴は残ったり、経歴に1年空白が生まれたりすることが、嫌だったからです。
結局のところ、受験に失敗して九大に入学してしまった以上、レベルの高い大学に入学し直しすも苦痛、九大にいても苦痛。
もはや、染み付いた学歴至上主義と完璧主義を完全に捨てない限り、私を悩ます苦痛の根本的な解決はできなかったのです。
大学入学当時の私は、学歴コンプレックスに苦しみながらも、このままのマインドを持ち続ければコンプレックスの渦のより深いところへ落ちてしまうことを自覚していました。
その自覚は当時の私も、視野が狭いなりに、自分を俯瞰的に見ることができた証拠だと思います。
だから、私は大学生活において、従来の自分ではやらないようなことを敢えて経験することで、自分の視野を無理やり広げてみようと考えました。
自分の視野を無理やり広げることで、学歴至上主義や完璧主義によって担保されていたくだらない自尊心を捨てることができ、新たな自尊心を獲得できると考えたからです。
学歴コンプレックスから自分を解放することが、大学生活スタートのテーマであり、そのコンプレックスこそがあらゆる突飛な行動のモチベーションエンジンだったのです。